湘南Theoの平和のページ・ブログ

戦争と、貧困・抑圧・差別の構造的暴力がない社会実現のために!

No.757(2020.2.19)「陸軍登戸研究所」見学で学んだ戦争犯罪

 神奈川県・藤沢市では、「市・人権男女平等平和課」と、「藤沢市平和の輪をひろげる実行委員会」という市民グループが共催する、「ピースリング・バスツアー」事業が長年継続されている。平和の意味を考える日帰りバスツアー。「明治大学 平和教育登戸研究所資料館」や「原爆の図 丸木美術館」などを見学・学習する機会があり、毎回、高齢者が多いけれども、50人余りの参加者がある。

 ・期待したこと:今回の学習ツアーに参加した動機は、下記の通り。

 人は、都合の悪い体験は語りたくないもので、戦争体験を継承するということの難しさはそのところにもある。加害体験などを継承することの困難な理由は、事実を語りたくない、語るに忍びない人々によって事実が埋没していることが大きい。

 自分も、戦争を知らない世代として戦争体験を継承するという場合、「追体験」することができるかどうかは決定的に大切だとつくづく思う。「追体験」とは、ある体験を自分のものとして疑似体験すること。意識的に探し求めれば、各地に残されている戦争遺産・遺跡の中から、日本軍部の行った戦争の本質を、容易に見出すことができる。戦争の記憶を失う前に、戦争体験談や戦争遺跡の持つありのままの姿から想像することで、「追体験」として継承することが実現できる。

 そういうことが可能なものの一つとして、この陸軍登戸研究所の史跡見学が身近にあった。

 ・学び、追体験したこと

事前の学習をしておかないと、学習ツアーはただの見学会に終わるので、多数ある中で、参考文献での下調べとして下記は簡潔で有用だった。

  1. 『フィールドワーク 陸軍登戸研究所』旧陸軍登戸研究所の保存を求める川崎市民の会 編 2009年 平和文化社
  2. 『私の街から戦争が見えた』川崎市中原平和教育学級 編1989年 教育史料出版会

                                                         

 現物は、ボランテイアの解説と資料館の展示で充分理解できた。

陸軍登戸研究所(第九陸軍技術研究所)は、戦争には必ず付随する「秘密戦」(防諜・諜報・謀略・宣伝)の側面を担った組織だった。

 米軍は、戦前・戦中のスパイ行動から、登戸研究所の存在は部分的には把握していたようである。川崎大空襲にもかかわらず、ここは占領後の貴重な(資産)として温存し、且つ、GHQによる主要な軍部所員の戦犯訴追も一切行われず、逆に、数人の主要な研究者は戦後まもなく米国に渡り、軍事研究にすら関与し、朝鮮戦争での生物(細菌・毒物)兵器やベトナム戦争での枯葉剤などにもつながったと言われている。

 この地域の主要部分は、アジア太平洋戦争の実相を伝える為にも、1950年に明治大学が史跡ごと購入したのであるが、大半は老朽化し保存されず、資料館に一括保存展示されている。

(ただ、残念なことに、最近新聞報道によれば、明治大学は、キャンパスの土地が手狭になったことから、「登戸研究所資料館」以外の貴重な遺跡の大半を取り壊す意向と言われている。)

 研究所組織と研究一覧画像等は、キーワード:(登戸研究所 画像)でのYahoo検索サイトも非常に参考になる。 

 

 ★何が保存・展示されているか

 登戸研究所は、戦争には必ず付随する、「秘密戦」:防諜(スパイ防止)・諜報(スパイ活動)・謀略(破壊・攪乱・暗殺)・宣伝(人心の誘導)を担う組織で、日中戦争の拡大とともに組織は拡充された。

 戦争の終盤期には、多数の研究・製造棟を有し、731部隊中野学校などとも繋がっていた。250人の幹部将校・技師らと、地元で秘密裏に採用された職員の総勢約1000名の規模に達した。               

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 この全景写真は、敗戦直前に米軍が撮影したもの。

 敗戦直後に大半の資料類は日本軍命令で焼却・廃棄隠滅されたが、戦争犯罪の歴史を調べた地域の市民・教員・高校生らの努力などで、貴重な証拠が一部発掘された。

 登戸研究所の史実から学ぶこと 

 この展示館は、戦争には必ず付随する、記録されず抹殺される秘密戦とその加害性にもに焦点を当てた稀有のものだ。

 都合の悪い体験は語りたくないという事からくる、加害体験のを継承の難しさから、戦争の事実が埋没されてきた。日本軍部の伝統で、戦後の保守政権(と自衛隊組織)に引き継がれている隠蔽体質が、歴史的に最大の汚点であったし、今の自民党政治と官僚機構に引き継がれている病巣そのものなのだ。

追体験」:「ある体験を自分のものとして疑似体験」して事実を認知することの大切さを、ここでも学ぶことができたのが大きな成果だった。

  

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(第一展示室)研究所の背景と目的、組織、他機関との関係、など。

(第二展示室)(馬鹿げた)“風船爆弾”の、米国本土に向けた作戦ほか。

(第三展示室)生物・化学兵器・スパイ機材など。731部隊/516部隊や中野学校・特務機関・憲兵隊などとの関係。

(第四展示室)偽札製造が中心。中国紙幣/インドルピー/米ドルなどの謀略印刷製造。秘密戦の中でも最も隠された部分。偽パスポートの製造もある。

(第五展示室)戦局悪化に伴う本土決戦体制と大本営の長野県松代ほかへの移転など。敗戦に伴う証拠隠滅。

 

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組織図