湘南Theoの平和のページ・ブログ

戦争と、貧困・抑圧・差別の構造的暴力がない社会実現のために!

No.780(2020.10.9)今こそ幸徳秋水の「非戦論」を

《論考》

幸徳秋水の「非戦論」を、『幸徳秋水を顕彰する会』http://www.shuusui.com/

 と、『週刊金曜日』2020.10.2(1298号)論考記事より今さらながら学んだので、要旨を抜粋します。                   

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幸徳秋水は明治4年、今の四万十市中村京町に生まれ、本名を伝次郎といった。生家は薬種業と造酒業をいとなむ旧家で、父は篤明、母は多治、4人兄弟の末っ子であった。  

・父は早く亡くなって母の手ひとつで育てられた。幼児の秋水は虚弱で、胃腸障害のため少しも太らず成長が危ぶまれた。しかし、頭はすばらしく、母の懐で乳をまさぐりながら母の胸に指で字を書いていたといわれているほどで、幼児から神童と呼ばれたほど明敏、早熟で小学校、中学校に通うかたわら、9歳の時から木戸鶴州の塾に学び、漢学の素養を見につけた。  

・少年時代より自由民権運動に関心を持ち、15歳の時「自由新聞」の読者となる。板垣退助の中村訪問に際しての小宴で、町民代表として祝辞を朗読したのが16歳、その翌年、林勇造の書生となったが、自由民権派追放にあった。その後、中江兆民の書生となり、終生恩師として仰ぎ、思想的にも人格的にも大きな影響を受けた。

・新聞記者としての秋水は文筆家としての名声を高めるとともに、種々の社会問題に接して次第に社会主義思想に傾いていった。  

・明治34年社会民主党を組織し、直ちに解散させられたが、社会主義協会に結集し活動を続けた。「二十世紀の怪物帝国主義」の論文はこの年出版、レーニン帝国主義論に先んずること15年、先駆的理論家としての驚異に値する。

日露戦争中、非戦論を唱え活発な反戦活動を唱え活発な反戦活動を続けた。

・明治38年平民新聞筆禍事件の編集者として入獄中、エンゲルスクロポトキンの論文を読んで無政府主義に関心を抱くようになった。出獄後、アメリカに渡り、オークランドロシア革命記念集会で演説を行う等、大いに活躍。ロシア革命に共鳴して、サンディカリズムの傾向を強くしていった。この間に書かれた論文で日米戦争を予言し、戦争回避を絶叫したのは名高く、洞察力は英才の一面を表したものである。

・帰国後、第2回社会党大会で直接行動論を唱え、議会政策論者とのはげしい論争がはじまり、ついに2派に分裂した。

・第2次桂内閣の成立で社会主義者取り締りの強化のため弾圧がきびしく、生活の窮迫と病弱のため運動の第1線から退く考えで、友人小泉三申の勧めにしたがって湯河原温泉に赴いて静養と著述にふけっていたが、大逆事件の検挙にあい、ついに日本裁判史上に類例のない暗黒裁判によって絞首台の霧と消された。  

・時は明治44年1月24日午前8時6分、享年44歳。 その最後は「従容として挙止些かも取乱したる様子は見えなかった」(沼波教誨師談)と言う。

 

《評価》

・いま日本のジャーナリズムは瀕死の状態に近い。ジャーナリズムの最大の使命は、権力の横暴を監視・批判することにあるはずである。旧安倍政権の下、報道は政権におもねり、忖度を繰り返してきた。まるで権力の”飼い犬”のごとき様相を強めている。

・戦後75年たった今、旧安倍政権は、”教育基本法”の改定での洗脳をもベースに、”秘密保護法”を皮切りに、解釈改憲によって”安保法制”を成立させ、「日米防衛協力のための指針ガイドライン)」を改定して、さらには、”敵基地攻撃能力の保有”までをも具体化の俎上に乗せてきた。

引き継いだ菅内閣は、安倍路線を忠実に踏襲し、むしろより強権的・狡猾的にそれらの実行に移していると言えるだろう

 

幸徳秋水)を考える

・現在がそのような状況だからこそ、権力に立ち向かった一人のジャーナリストが今、注目される価値があると思う。 幸徳秋水 その人。

・1904年の大切なフレーズが、今、郷里に碑石で残されている。

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幸徳秋水の”非戦論”は、反戦平和の原点であり、戦後、永久平和・戦争放棄”の『日本国憲法』として結実した。

幸徳秋水の非戦論は、燃えるペンで非戦論を展開した。 「戦争と道徳」「兵士を送る」「戦争の結果」「戦死者の遺族」「戦争と新聞紙」「嗚呼(ああ)増税」「列国紛争の真相」「戦時と非戦論」などの論説が続く。

・「幸徳秋水を顕彰する会」には、このように記されてもいます。        

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