湘南Theoの平和のページ・ブログ

戦争と、貧困・抑圧・差別の構造的暴力がない社会実現のために!

No.665(2019.4.25)札幌地裁「安保法制」判決批判と、公定力論・統治行為論

  司法は、政治判断を一貫して回避し、行政に従属!

「安保法制」への異議に対して、何も判断しない

             統治行為論

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 ・集団的自衛権」の行使を認める安全保障関連法は憲法違反で、平和的生存権が侵されたとして、北海道の住民412人が国を相手取り、精神的苦痛に対する1人当たり10万円の損害賠償と自衛隊出動の差し止めを求めた訴訟で、札幌地裁は今年(2019年)4月22日、原告敗訴の判決を言い渡した。

 賠償請求を棄却し、差し止め請求についても、「訴えの理由がない」として、原告や証人の尋問も認めず、一刀両断に門前払いをした!。 

・判決では「原告の不安は抽象的」、「自衛隊の海外派遣の蓋然(がいぜん)性はいまだ低い」と断じられた。

・しかし、この訴訟の核心は、法律そのものが違憲か否かという点にある

・政府答弁がこれまで矛盾に満ちたものであったのに加え、次の歴史的背景もある。致命的な問題を残している「砂川判決」だ。駐留米軍に対する1959年の最高裁判例

この判例で、たしかに固有の自衛権を持つと明示されたが、あくまで個別的自衛権であることは、法曹界でも一致した判断である。集団的自衛権はここでは全く問題になっておらず、従って認定もされていない

・さらにこの判例では、「一見極めて明白に違憲」ならば、行政行為を「無効」とできると踏み込んだ記述もされている。

・従い、裁判官には、「一見極めて明白に違憲」かどうかのチェックが求められて当然至極ではないだろうか? 憲法との整合性への検討と判断が全くされてもいない。

 判断を回避する理屈を探し回っているだけではないか?!

 司法に課されている役割の放棄そのものではないのか!!

あと全国24の裁判所の判断が残されている。三権分立の大原則を踏まえれば、司法権こそ個人の権利侵害の訴えに真正面から向き合わなければならない

米国の検察と裁判所の権威が、トランプ大統領の孤立を招く部分が大であることなどに比しても、日本の司法の貧弱さ・脆弱さが際立ってはいないか?

・判決の根底には、司法は高度の政治的判断には関わらないという、下記の事情があるのだ。すなわち、「統治行為論」と公定力論」に根源があるのだ

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以下、「安保法制違憲訴訟の会」:http://anpoiken.jp/ 

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ほかをも参考に、

根源的に課題が残され続けている、「統治行為論公定力論」とについて、若干調べたことと考察を行いたい。

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      日本の司法(特に最高裁、高裁)にはびこる、

    行政裁判の 「統治行為論」と「公定力理論」

高級裁判所が立法・行政の重大課題に対して判断逃避する対象は、憲法・教育・原発・労働・環境ほか、国の根幹にかかわるあらゆるジャンルに及んでいる。

それは司法(=裁判所)が、「憲法第六章 司法」で、

 第七六条【司法権・裁判所、裁判官の独立】⓷すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職務を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。

 第八一条【法令審査権と最高裁判所最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を存する終審裁判所である。 

という規定にかかわらず、「高度な立法・行政」の判断と執行の義務を放棄していることに他ならないということに関わっている

  

(参考 : ウィキペデイアより)

 統治行為論(とうちこういろん)とは、“国家統治の基本に関する高度な政治性”を有する国家の行為については、法律上の争訟として裁判所による法律判断が可能であっても、これゆえに司法審査の対象から除外すべきとする理論のことをいう。裁判所が法令個々の違憲審査を回避するための法技術として説明されることが多いが、理論上は必ずしも憲法問題を含むもののみを対象にするわけではない。

最高裁判例

砂川事件上告審判決(最高裁昭和34年12月16日大法廷判決)

日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」の合憲性判断について、統治行為論自由裁量論を組み合わせた変則的な理論を展開して、司法審査の対象外とした。時の最高裁判所長官・田中耕太郎が初めて用い、“日米同盟”の憲法適否が問われる問題では、以後これが定着するようになる。

この判決が下されるに当たっては日米両国政府から最高裁に対する圧力がかかっていた事が、21世紀に入ってから明らかになった。

苫米地事件上告審判決(最高裁昭和35年6月8日大法廷判決)

 衆議院の解散の合憲性判断について、純粋な統治行為論を採用して、司法審査の対象外とした統治行為論をほぼ純粋に認めた唯一の判例とされる。事件名は提訴した青森県選出の衆議院議員苫米地義三にちなむ。

 

    「公定力理論」という「空洞の権威」 

 

・裁判は論理と証拠の世界であるにも関わらず、「国の行政権の優位」が極めてレトリックで語られてきた言われてもいる。

 (事例)

・国側の組み立てたストーリーと論理 : 「翁長知事が仲井真前知事の処分を取り消すのは、仮にその処分が違法であったとしても「行政の継続性」(法学的には「公定力」という)を破壊するものであり、それ自体として許されない。もっと簡単に言うと、翁長知事はそもそも仲井真知事の処分を取り消すことができない。これが原則だ。にもかかわらず、どうしても取り消すという場合には、取り消さない場合の「利益」と取り消した場合の「利益」を比較考量して、取り消す方がはるかに圧倒的に国民の福祉にかなう、ということを証明しなければならない、というのである。」 

それでは、このような論理を引き出す「公定力理論」とは何か。 

 国側によれば、この公定力は「現在」でも学説と判例とによって支持されており、確固たるものだ。国の権力の発動である行政処分は「それ自体として権威」あるものであり、それゆえ「裁判の判決」と同じように「行政処分はそれが仮に違法であったとしても、権威あるものによって取り消されるまでは、何人もその効果を否定できない」とし、これを行政権の公定力とする理論である。 

・「また、このような「公定力理論」は、もう一つの重要な柱であり、裁判所にとっては決定的な最高裁判例によっても「処分の取消によって生ずる不利益と、取消をしないことによってかかる処分に基きすでに生じた効果をそのまま維持するところの不利益を比較考量し、しかも該処分を放置することが公共の福祉の要請に照らして著しく不当であると認められるときに限り、これを取り消すことができる」(最高裁判所昭和43年11月7日)として確立している。」

・「このような学説と判例からいえば、そもそも、翁長知事の取り消し処分は認められない。仮に認められたとして、辺野古基地移設は、日本とアメリカの長年の交渉の結果であり、これを中止することは日米双方の国益を害する。辺野古移設はそもそも普天間基地の騒音被害や危険性などを解消するものである。

 

★ 芦部信喜 著 憲法で調べたこと

 

統治行為 は、詳細は下記、第一六章に記載されています。 

 (統治行為)の論拠は、司法審査を行うことによる混乱を回避するために裁判所が自制(=制限を設ける権限の実行)すべきであるとする自制説と、高度の政治性を帯びた行為は、裁判所の審査の範囲外にあり、その当否は国会・内閣の判断に委ねられているとする内在的制約説があるとされています。

 又、(統治行為)の範囲と限界については、厳しい限定がかけられなければならないのが、国民の利益を擁護するためには常識的な判断だと考えますが、(統治行為)は憲法の明文上の根拠もなく、内容も不明確で、国家機関(内閣等)の自由裁量権などで実行される危険性を秘めています。現に、沖縄県辺野古、米軍基地、原発、教育ほか、国政の全般にわたってその自由裁量が行われているのが実態です。司法(特に高裁・最高裁)は、重大事項は判断回避を繰り返しています。

 

  ※ 一方、(公定力理論)に関しては(自分の見落としがないかぎり)詳細に記述されていません。

 

・第一六章 裁判所:4 司法権の限界:(三) 統治行為 (326ページ~)

 最も大きな議論のあるのは、いわゆる統治行為である。

 統治行為とは、一般に、「直接国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為」で、法律上の争訟として裁判所による法律的な判断が理論的には可能であるのに、事柄の性質上、司法審査の対象から除外される行為を言い、アメリカでは政治問題(political question)と呼ばれる。

 最高裁判所は、砂川事件判決では、安保条約のような「主権国としての我が国の存立の基礎に極めて重大な関係を持つ高度の政治性を有する」条約が違憲か否かは、内閣・国会の「高度の政治的ないし自由裁量的判断と表裏をなすことが少なくない」ので、「一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものである」と判示し、「一見極めて明白に違憲無効」の場合には司法審査は可能であるとしたので、純粋の統治行為論ではなく自由裁量の要素を加味した、すっきりしない立場をとった (中略) 

 このような統治行為を認めることは、日本国憲法のように徹底した法治主義(法の支配)を原則とする憲法の下では許されない、という考え方も有力である

 たしかに、自立権に属する行為、自由裁量に委ねられた行為を除くと、そのほかに統治行為と考えられるものはきわめて限定されてしまうであろう。しかし、日本では、多数の学説がなお、統治行為の存在そのものは是認している。問題は、それを認める論拠とその範囲である

 

 月刊誌 『世界』 No.880 2016.4 では、

  五十嵐敬喜 論文で、(「公定力理論」は正しいか) そのポイントを下記に。

 

  • 「公定力理論」は正しいか

 (中略) 一〇〇年間に、第二次世界大戦をはさんで日本は変わった。しかも革命的に変わった。それでも「公定力理論」は有効・有益なのであろうか。

 「公定力理論」は、ドイツ、日本とも、君主制という権力の存在が前提になっていた。その中で、法治主義に基づく行政権はそれなりに有効・有益なものであったが、戦後日本国憲法はこのような君主的立憲性を、国民を主権者とする立憲民主主義に変更した。 

 (中略) この観点にたって「公定力理論」を吟味してみよう。 

 誰でも最初に思いつくのは、権力の主体は君主ではなく国民になった、国民は支配される側ではなく支配する側なのだということであろう。したがってそこにはそもそも、行政権の国民に対する優越、あるいは行政権の権威というような観念は存在する余地がないのではないか。そして優越とか権威とかいう観念を取り払うと、そこには単純な真理が浮かび上がってくる。公定力の中心的な論点である「違法な処分ではあっても、それが取り消されるまでは有効だ」という議論は、行政には誤りがないという「無謬主義」からもたらされている。

 「無謬主義」が優越とか権威と密接に結びついているのである。しかし、現憲法の下ではそれは消去されている行政処分は権威ある判決と同じようなものではなく、国民に対する意思表示である。その意思表示によって国民はある種の受益を受け、またある種の制限を受ける。 (中略) 日本の憲法の転換は「憲法変われど、行政法変わらず」というテーゼを「憲法変われば、行政法も変わる」というように一八〇度転換させた。

公定力理論」は終焉したのである

 

 裁判所にとって最高裁判所判例は絶対的なものである。 「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である」憲法八一条)とされているように、その判断は強い拘束力を持つ。下級裁判所は、「時代の変化」など極端な事態を迎えなければ、最高裁判所判例に対して逆らうことができない。(後略)

 

 (中略) 沖縄防衛局が承認を得る場合には国として、執行停止を申請するときは「私人」として不服審査して、突如「国」から「私人」へと「変身」してしまうような今回の国側の態度こそ、行政の信頼性を疑わせているのは、県ではなくまさに「国」自身ではないのかという疑惑を生むのは当然であろう。 (中略) 今回の公有水面埋め立て事件は、のちに見るように、こういうものとは全く事件の性格が異なっている。そこでは基地を作る沖縄防衛局の利益と、基地建設によって被害を受ける海、そこで生きているジュゴン、海藻類などの命、さらには漁業権者のほか、これまで「差別」されてきた沖縄全県民の利益が考量されなければならないのである  

 

  • 行政の変質

 (中略) ある事業者に対する事業の承認には、その事業者に海を埋め立てる等の権限(利益)を与えると同時に、それらの事業によって、水没、立ち退き、権利制限さらには自然・文化・歴史等の価値が破壊されるなどの不利益が発生する、という二つの側面がある。・・・・ 近時の行政法学ではこれを二重効果論という。

 

 (中略)

 辺野古に即していえば、前処分が違法であれば翁長知事がこれを取り消すのは当然ということになろう。

 このような行政の変化を見てか、近時の学説の中に

「(公定力の根拠として)かつては、行政行為には適法性が働くからであるという説明がなされた。この見解は、国家は正しい処分を行うものであるという公権力に対する信頼が背景にあり、一種の権威主義的な考え方があるといえる。

 しかし、行政が行う判断が正しいという論理的必然性はなく、今日このような国家権力に対する権威主義的な考え方を維持することはできない。

 現在、公定力は、過去の行政法理論の延長上に、脆弱な根拠に基づいているというような見解が出現してきたのは、根拠あることなのである。

(中略)

 辺野古の代執行裁判でも、裁判所は大仰な「公定力理論」を撤回させ、公有水面の埋め立ての合法性・正当性の審査に入るべきであり、そこに入れば、裁判所は軍事基地よりもジュゴンの生存に軍配をあげざるを得なくなる。

 信託の理論は、行政が国民の信頼を裏切った場合には一切を拒否してもよい、という理論である

 裁判所が万が一、公定力のような理論で国民の期待を裏切るようであれば、沖縄はそのような状態に入るであろう

 

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※ 以上のような法律論説をもベースにすれば、政権が行うあらゆる分野での行為:沖縄県辺野古、米軍基地、原発、教育ほか、国政の全般にわたっての矛盾と問題に声をあげる正当で強力な行動が、個人レベルでもできるではないかと、私は学ぶことができました。

                                    (了)

No.664(2019.4.24)ふざけすぎの、”原子力村サイト” の閉鎖

             ( 原子力ムラ)の意見を代弁する御用サイト

      「あつまれ!げんしりょくむら

        が誕生→批判殺到で閉鎖  

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このサイトは、下記でしたが、最近、非難殺到で、閉鎖に追い込まれました。

ムベなるかな。情けない発想も簡単に潰えました

https://buzzap.jp/news/20190411-atsumare-genshiryokumura/

 

 この「あつまれ!げんしりょくむら」を運営するのは「一般社団法人日本原子力産業協会(JAIF)」。

 この組織は東電などの日本の原子力産業の企業や原発立地自治体などで構成される業界団体で、今井敬会長は民主党政権から第2次安倍政権で原発再稼働に尽力した今井尚哉内閣総理大臣秘書官の叔父に当たります。

 

※(NHK NEWS WEB) によると、このように報道されています。

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原子力村”サイト 批判で閉鎖    (2019/4/12配信記事)

 原子力関連の企業などでつくる団体が、若い世代向けに原子力に関する情報を発信する「あつまれ!げんしりょくむら」と名付けたウェブサイトを開設していましたが、「被災者がいるのにふざけている」などと批判が相次ぎ、12日、サイトを閉鎖しました。

 問題となったのは、日本原子力産業協会が原子力を学ぶ若い世代向けに今月8日に開設した「あつまれ!げんしりょくむら」と名付けられたウェブサイトです。

 サイトでは、原子力業界の閉鎖性を意味する「原子力ムラ」という言葉をタイトルに使い、戦国武将や妖怪といったポップなイラストが描かれていたことから、「被災者がいるのにふざけている」などと批判が相次いで寄せられたため、協会は12日、サイトを閉鎖しました。

  ツイッターでは、「原発事故から数年しかたっていないのに」とか、「わざわざ自分で『げんしりょくむら』と名乗るとは」などと投稿されています。

 サイトには、海外の若い原子力研究者から同世代の日本の研究者への応援メッセージや、魚に含まれる放射性物質の検査方法なども紹介されていました。

 こうしたサイトは、電力会社や原発が立地する自治体などからの会費で製作されています。 日本原子力産業協会は「逆境にある原子力産業が外部に向けて開かれたものであるべきだという考えで開設したが不適切でした。おわびいたします」と話しています。

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(こんな調子の記事 !!)

●「あなたが私たちの地球の気候変動を心配しているのならば、原子力を応援しましょう

●「クリーンなエネルギーである原子力

●「子供たちを安全な環境で育てるために、もっともっと原発を建設するべきです

● 「原子力業界に身を置いてCO2フリーの電力供給に貢献し、"Climate Hero"になることは、価値あることなのです

●「日本のみなさんに言っておきたい。原発を再稼働してくれてどうもありがとう

 

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No.663(2019.4.23)「令和」と「万葉集」について考える

   新元号「令和」と語源とされる「万葉集」、

   その(愛国心)利用の歴史を批判的に考察する。

 

 5月からの現天皇生前退位と新天皇に対する国民的フィーバーが巻き起こる中、先日は、天皇・皇后の皇室儀礼の一つである、天皇家代々の霊所とする(伊勢神宮)に、三種の神器の二つ(もう一つは伊勢神宮に安置)を侍従が捧げ持って参拝するための車列を見物に多くの群衆が集まり、日の丸小旗も(なんと交通整理警官の指導まであって)振られ、多くの老若男女が感激のあまりに”涙で迎える”という映像がテレビで何度も放映された。

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 そして今、元号「令和」の根拠とされる万葉集に注目が集まっている。

その「令和」の語源典拠と歓迎ムードに警鐘を鳴らす新聞記事の一つが目についたので、その批判の論点の趣旨と記事著者の学術的根拠を基に批判されているポイントを引用紹介してみたい。

  (注)下記『朝日新聞』2019.4.16付記事を参考にしました。https://www.asahi.com/articles/ASM4D0JGQM4CUTFL00H.html

 (注) 画像はすべて、当方が挿入しました。             ⇩

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  記事の著者は、万葉集学舎の一人、品田悦一(よしかず)・東大教授。

 今、数あまたある批判論説の一つで解り易いと思います。

 (ポイント) (注:「 」内は品田教授の言葉)

・「問い直したいのは、万葉集そのものの価値ではなく、利用のされ方です。」

・(明治時代に 近代国家をつくっていく時、欧米列強や中華文明への劣等感から、知識 人は国家と一体となって「国民詩」を探した。そこで、庶民には無名に近かった万葉集が「わが国の古典」の王座に据えられ、国民意識の形成に利用されたのではないか。---

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・「新元号発表後の安倍晋三首相の談話には「天皇や皇族、貴族だけでなく、防人(さきもり)や農民まで」幅広い階層の人々が詠んだ歌が収められ」とある。ところが品田さんは「貴族など一部上流層にとどまったというのが現在の研究では通説と言えます。」

万葉集には、東歌(あずまうた)など身分の低い人が詠んだとされる歌が多数あるが、彼ら自身の言葉で詠んだとは考えにくいという。詩の形式が五、七音節を単位とする貴族たちの歌と同じ形で整いすぎていることなどを根拠に挙げる。

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「当の本人は万葉歌集の存在自体、知る由もなかったはず」と、ことさら庶民を強調する政府の発表に、「この認識自体が明治国家の要請に沿って人為的に作り出された幻想だった。」

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・「万葉集の4500首余りのほとんどは男女の交情や日常を歌っているのに、数十首の勇ましい歌が、昭和の戦争期には拡大解釈されたことを思い起こすべきです。」

よく知られる海行かば水漬(みず)く屍(かばね)山行かば草生(む)す屍大君(おおきみ)の辺(へ)にこそ死なめ顧(かへり)みはせじ」に曲を付けた軍国歌謡は大宣伝された

・「忠君愛国と万葉集は切っても切れない関係にある。」

・戦後もなぜ「万葉集は日本人の心のふるさと」とされたのか。内田さんは「敗戦後、左翼の側も『国民歌集』の復興を歓迎し、利用したため」という。国の強制に対し、防人がどうあらがったかを、父母と分かれる悲しみを詠んだ歌を引くことで示した。」「『民衆にも席を用意した民主的歌集』などと礼賛しました」

・「平和時も、万葉集を『天皇から庶民まで』の作が結集された全国民的歌集であるかのように想像すること自体が、国民国家イデオロギーであることを知ってほしい

・品田さんがこの学説を提起したのは、『万葉集の発明 国民国家と文化装置としての古典』新曜社、2001年)。絶版となっていたが、新装版が4月末にも緊急復刊される。

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国文学研究資料館ロバート・キャンベル館長は、「『万葉集の発明』は古典研究の海図を書き換える上での重要な達成で、学会では、このように前提を洗い直す見方が定着してきた」とみる。他方で、「戦時中などの不幸な時代に再解釈されてきた『過程』は忘れてはならないが、1300年を経てもなお歌集が残り、これだけの人の心を浮き立たせているという『成果』は、評価に値する」と話す。

                                    (了)

 

 

 

 

No.662(2019.4.22)普天間/辺野古のギマン

     普天間基地辺野古新基地 はギマンだ!!

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     (先日のブログ・アップの内容をを再度記載し、訴えます)

 

 米軍普天間飛行場の全面返還合意から23年が過ぎた。

 やがて四半世紀がたとうというのに、世界一危険な飛行場はいまだに宜野湾市のど真ん中を占拠している。

 県民の合意のない県内移設に固執し、住民を危険にさらしている日米両政府の責任は重い。 

 当時の橋本龍太郎首相とモンデール駐日米国大使が共同で記者会見し、普天間全面返還を発表したのは1996年4月12日だった。

 前年の95年に起きた米兵による少女乱暴事件で、県民の怒りのマグマが噴き出し、日米両政府は沖縄の基地返還に真剣に取り組まざるを得なくなっていた。  

 返還発表は「普天間飛行場の一部機能を嘉手納飛行場内に移転、統合。嘉手納飛行場を中心とする県内の米軍基地内に、普天間飛行場所属部隊のヘリポートを新設する」という条件をしのばせてはいたが、まだヘリの離着陸帯という機能にすぎなかった。  

 それが今では、海を埋め立てて2本の滑走路をV字形に配置し、弾薬搭載機能や強襲揚陸艦が接岸できる岸壁を備えた辺野古新基地へと大きく形を変えている。  

 普天間返還の原点は、基地あるがゆえの事件や事故にさらされてきた県民に、安全な暮らしを保障する人権の問題だった。

 それを政府は日米同盟や抑止力の維持へと議論をすり替え、辺野古に代替施設が建設されなければ普天間飛行場は固定化だと県内移設の容認を迫ってきた。  

 2月24日の県民投票で、辺野古新基地建設のための埋め立てへの「反対」が有効投票数の72・15%に当たる43万4273票に達した。

 潮目は大きく変わっている。  

 さらに大浦湾海底の軟弱地盤の存在で、辺野古新基地建設は完成までの期間も費用も見通せなくなっている。  

 こうした事態に米海兵隊は2019年航空計画に、普天間飛行場を28米会計年度(27年10月~28年9月)まで使用し続ける計画を盛り込んだ。

 飛行場の改修も記載し、この先も宜野湾に居座り続けようとしている。盗っ人たけだけしいとはこのことだ。  

 沖縄戦で上陸した米軍は、宜野湾の住民を収容所に閉じ込めている間に普天間飛行場を建設し、その後も銃剣とブルドーザーで住民を追い立てて基地を広げてきた。

 戦争時であっても敵国で私有財産を没収することを禁じたハーグ陸戦条約に違反する。

 もともと無条件に住民へ返還すべき土地なのだ。  

 18年度に宜野湾市に寄せられた航空機騒音の苦情件数は684件で、苦情受け付けを始めた02年度以降で最多となった。

 最新鋭ステルス戦闘機F35Bなど普天間所属機ではない航空機まで相次いで飛来し、騒音を激化させている。  

 危険除去に向かうどころか、いつ事故が起きてもおかしくない状態と環境被害の拡大が続いている。もはや一刻の猶予もならない。

 直ちに閉鎖し全面返還するしかない。

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No.661(2019.4.21)自衛隊が何故、敵基地攻撃を持つのか!(批判)

 敵基地攻撃能力を有するステルス戦闘機:F35

 何故、日本が防衛能力を超えた、敵基地攻撃能力を有する最新鋭戦闘機を多数保有せねばならないのか?

 ミサイル(防衛)網と共に、「占守防衛」を完全に放棄する一つの大きな手段。 

 それでいいのだろうか?

 

 以下、『東京新聞』2019.4.17付 記事より、半田滋氏短評です

(記事全文は、下記URLより。文章写しは下記。画像は当方で追記)

https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2019041702000163.html

             (F35A)空自仕様

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              (F35B)海自仕様

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                 (F15)旧仕様

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  2019年4月17日

  新「防衛計画の大綱」が閣議決定された昨年十二月、「F35Aの取得数四十二機を百四十七機とし…」との閣議了解があった。 

 F35A戦闘機は老朽化したF4戦闘機の代替機として四十二機の導入が始まっている。この四十二機とは別に百五機を追加するというのだ。F15戦闘機のうち近代化改修できない九十九機と入れ替える。 

 航空自衛隊の戦闘機は、空中戦が専門で対地・対艦攻撃ができないF15が二百一機ある一方、対地・対艦攻撃もできるF2戦闘機などは百四十八機にとどまり、空自が空中戦に力を入れていることがわかる。 

 これは空自の主任務が、他国の軍用機に日本の領空を侵犯させない「対領空侵犯措置」にあるからだ。本来の空軍力においては、ミサイルや爆弾を投下して敵を制圧する打撃力が特に重要視されるが、自衛隊は守りに徹するため、「航空自衛隊というより空中自衛隊だ」とやゆする空自幹部もいた。 

 それも間もなく、過去の話になる。 

 新大綱では、戦闘機に搭載する長射程の巡航ミサイルの導入も決まったからだ。防衛省は近代化改修するF15への搭載も計画しており、閣議了解と合わせれば、空自のすべての戦闘機は対地・対艦攻撃が可能になる。 

 政府は「自衛隊には敵基地攻撃能力はない」と答弁してきたが、間もなく、「ある」に方向転換することになる (半田滋)

 

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(追記日刊ゲンダイ』2019/4/17付でも、次のように批判しており、

       なるほどそうか、と理解できる。

(注)下記記事から引用しました。

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/252077

F35配備計画変更せず 空自が強いられる

                 欠陥機“特攻操縦”

 空自三沢基地青森県)の最新鋭ステルス戦闘機F35Aが墜落してから、16日で1週間。日米で懸命の捜索が続いているが、操縦士と機体の大部分はまだ見つかっていない。

 事故原因の解明には時間がかかりそうだが、米国は断固、機体の欠陥にしたくないという。軍事問題に詳しいジャーナリストの田中稔氏が言う。

「米国製のF35は現在、日本を含む各国で390機以上が運用され、年末には500機になる見込みです。このタイミングで墜落が機体のせいにされると、採用拡大にブレーキがかかる。米国は事故原因を人為的要因にするか、最高機密を盾にお茶を濁すでしょう」

 しかし、今回の墜落が機体要因であることは濃厚だ。昨年6月、米国の政府監査院(GAO)は、F35について966件の未解決の欠陥があることや、操縦士の酸素欠乏などを指摘している。さらに、三沢基地には13機が配備されているが、これまでに機体の不具合で緊急着陸が計7件も発生。うち2件が今回墜落した機体で、2017年6月と18年8月に緊急着陸している。防衛省は、危険がいっぱいの機体を自衛隊員に操縦させていたわけだ。

 

もともと安全性が極めて怪しい上、今回、操縦士の命を奪った可能性が高いF35は「待った」をかけて当然だ。ところが、16日の参院外交防衛委員会岩屋毅防衛相は、「配備計画を現時点で変更する考えはございません」と答弁した。F35は総額6兆円超をかけて147機体制にする配備計画がある。

「本来、事故原因が解明されて、安全性が確立されるまで、〈配備は凍結〉と言わなければ、米国も本気で調査・対策をしません。その結果、原因が曖昧なまま、欠陥機を高額購入し続けることになります。税金のムダである上に、今回のように自衛隊員の命がおろそかにされることがまた起こる。隊員は、墜落する可能性が十分ある戦闘機の操縦を強いられる。『お国のために死んでくれ』と命じられているようなものです」(田中稔氏)

 

 先の太平洋戦争では、鹿児島県の鹿屋海軍航空基地から「特攻隊」が出撃。908人もの若い命が「お国のため」に奪われた。三沢基地を“現代の鹿屋基地”にしてはならない。

No.660(2019.4.20)イージス・アショアミサイル配備に断固反対する!

 イージス・アショアミサイル配備反対の声が、山口・青森の地元では圧倒!

防衛省は口先では「地元の理解」を強調しながら、既定路線での強行を準備

 

(注:下記画像は、本ブログ側で追記挿入しました。)

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 イージス・アショアの国内配備は、2015年に安倍首相が米国で、トランプ大統領とゴルフをしながら、米国の軍需産業を支援してくれと要求されて購入を決めたもので、国会での審議もなしに閣議決定したものである。

 北朝鮮から、山口・萩の先にはグアム基地が、秋田の先にはハワイの基地がある、米軍のための設備である。

秋田県の地元の反対には「地元の理解が大前提」

 秋田の候補地「新屋演習場」の近隣16町内会がつくる新屋勝平地区振興会、豊岩地区振興会が反対を表明し、秋田県では秋田市など11の市町村議会に反対の陳情・請願が提出されている。

 3月26日には秋田県知事は防衛省を訪れ、「配備にあたっては地元の意見を最大限尊重する」ことを求め、副大臣は「十分な安全対策を行い、地元の皆さんの理解を大前提として、地元の理解のないままには進めない」とした。

 県議会、市議会が地元住民を裏切らないように運動の強化が課題だ。

山口阿武町では配備撤回要求が全会一致で

 萩市のむつみ演習場周辺の阿武町では、昨年6月に防衛省による地元説明会が開かれた。

 予定以上の200人の町民が参加し、配備計画に反対し、撤回を求める意見が沸きあがった。

 国民を守るのでなく、攻撃目標になる施設は要らない。こんなものが出来ると新しい住民が来なくなり地域が疲弊する。

 「安倍首相のお膝元だから反対するのは言語同断」と言うのに憤りを覚える。

 強力なレーダーはペースメーカー等の正常動作を妨害し、高齢者の生命を危険にさらす。などの意見が出た。

 9月20日には阿武町長が反対を表明し、町議会も全会一致で、基地反対の住民の請願を採択した。山口県知事・議会の監視を!

沖縄県民の基地反対の民意を無視する安倍政権

 住民の反対の民意を無視して基地建設を強行するのは安倍政権の常套手段である。

 口先では「地元住民の意見を聞き」といいながら、沖縄では知事を利権で篭絡して埋め立てを認めさすなど悪辣な手段で強行してきた。

 沖縄では先日の「県民投票」での圧倒的民意を無視して基地建設を継続している。

 とりわけ沖縄に対しては、何度も表明される民意を警察力と裁判所の不当な判決で屈服させようとしている。沖縄県民の闘いに連帯を!

              

            (無法の、辺野古埋め立て強行)

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(注)上記は、友人の定期発行する下記パンフレット

           脱原発放射能汚染を考える』から転記したものです。

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                           (許諾済み・拡散希望

パンフレット全体を大きく見るには、下をクリックしてください。

                                                             

                  No.193 

No.659(2019.4.19)東海道線/神奈川県(藤沢市・鎌倉市)新駅構想 批判

今回は、非常にローカルな話題です。

この新駅構想は、地権・利権に結びついたいわくつきのもので、今回の統一地方選挙での大きな争点にもなっている。

利益誘導委政治の典型である!

  • 村岡新駅と周辺開発計画の概要
  • 昨年末、神奈川県、藤沢市鎌倉市JR東海道線藤沢駅-大船駅間でかねて設置構想があった「村岡新駅(仮称)」について、建設費の負担割合について合意し、設置協議会を立ち上げた。これを受け、1月18日に神奈川県の黒岩祐治知事、藤沢市鈴木恒夫市長、鎌倉市の松尾崇市長はJR東日本(以下、JR)の本社を訪れ、駅設置を正式に求めるとともに、一部費用負担や概略設計を要望した。

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 神奈川県/藤沢市鎌倉市にまたがるある地域に、JR東海道線の新駅を誘致する構想がかねてよりあり、利権の温床として、今回の地方議会議員選挙の争点の一つにもなっています。

 相変わらずの利益誘導と利権政治の代表のようなこの構想は、おそらく市民の支持も得られず、オシャカに追われると思いますが、何ともはや、情けない話です。

 

(『東洋経済オンライン』 2019.2.13 記事を引用)

 http://news.livedoor.com/article/detail/16012164/

 

東海道線「村岡新駅」構想、藤沢ー大船間に浮上

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              ( 村岡新駅計画地付近を走行するJR東海道線武田薬品の研究所)

 

 今後、2019年度から2020年度にかけて概略設計を行い、その結果をもとに事業を進めるかを最終判断し、2021年度以降に新駅設置に関してJRとの基本協定締結を目指すという。

 両市は一体開発し、行政施設、商業施設、医療・福祉施設、都市型住宅等を設ける計画で、土地区画整理事業費として約270億円を投じる予定だ。

 一体開発することで国の方針である「交通結節点の改善促進などに資する事業」に該当し、国庫補助金の重点配分を受けることができ、地元の財政負担が軽減されるという。

 また、約160億円と試算されている駅の設置費は、全体の3割を神奈川県が負担し、JRが支出する残りを藤沢市鎌倉市が5割ずつ負担する。

 村岡に新駅構想が最初に浮上したのは30年以上も前のことであり紆余曲折があるが、設置に向けた大きな機運となったのが、2006年の武田薬品湘南工場の閉鎖だ。

 その工場跡地に武田薬品の新研究所を誘致する計画を巡って、最大80億円を補助するとする神奈川県と、200億円超の支援策を提示する大阪府との間で綱引きになった。

 これを機に、2008年には「村岡・深沢地区全体整備構想(案)」がまとめられ、新駅を核とした村岡、深沢の一体開発が一気に動き出すかにみえた。

 ところが、JRの車両センター跡地で土壌汚染が見つかり、「土壌汚染対策処理費と建物の解体処理費の合計が、跡地の売却予定額を数十億円も上回る」(深沢まちづくりニュース 第15号)とされ、その対応に巨額の費用と時間がかかった。

 また、市域をまたぐ事業であるため費用負担や役割分担の協議が平行線をたどるなど、事業が進捗しなかった。

 さらに、2016年秋に公表されたJRが実施した調査結果で、「村岡新駅の建設費が従来想定の1.5倍近い155億円超に膨らむ見通し」(2016年9月3日神奈川新聞 現在は約160億円とされている)であることが判明し、関係者の間に慎重論が大きくなった。

 黒岩知事は「医療と健康・未病」を政策の1つに掲げ、ライフサイエンス分野の研究拠点として川崎市殿町(とのまち)を整備してきたが、同地が飽和状態になりつつあり、新たな候補地を探す中、武田薬品の研究所もある村岡・深沢に白羽の矢を立てた。

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 深沢の開発予定エリア。鎌倉市は「ウェルネス」をコンセプトに街づくりを計画。市役所本庁舎を移転する計画もあるが、反対意見もあり不透明だ。

 そこで、4月の知事選に3選出場を表明した黒岩知事が、開発の恩恵が少なく、本音を言えば駅を造りたくない藤沢市を説得するなど各プレイヤーの利害を調整し、”実績”を作ったというのが今回の話ではないか。

 財源不足が課題に藤沢市の中期財政の見通しとしては、2019年度からの5年間に約584億円の財源不足が生じる見込みとなっており、厳しい財政運営が求められている。

 こうした状況に鑑みれば「ゼロベースでの見直し」も、まったくありえない話ではない。その理由としては、まず駅設置の効果に疑問があるという。新駅の1日あたり乗降客数は約6万5800人で、このうち、大船駅藤沢駅湘南深沢駅利用者の新駅利用の潜在需要が約3万5200人、周辺エリアの開発による新たな鉄道利用者の発生が3万0600人と試算されている。

 しかし、この数字には「鵠沼(くげぬま)など、およそ新駅を利用するとは思えないエリアの住民もカウントされており、過大な数字といわざるをえない」(長嶋氏)という。

 また、「仮に数万人の新規利用者が見込まれるなら、ラッシュ時の東海道線の混雑に拍車がかかることになる。しかし、朝のピーク時はこれ以上本数を増やせない過密ダイヤがすでに組まれている」と指摘する。むしろ、「新駅を設置するなら、大船駅から根岸線を延伸し、輸送のパイプを太くするほうが利用者にとってもJRにとってもメリットがあるのではないか」という。

 また、深沢エリアの開発については、「少子高齢化の時代に、バブル期のような街の開発をする意味があるのか。鎌倉はゴミ焼却施設や市役所本庁舎の移転・建て替え、老朽化した学校の建て替え等の問題も抱えている」と、財政面から開発計画そのものへの疑問を投げかける。

 さらに、柏尾川周辺は県が告示する洪水浸水想定区域に指定されており、過去にもたびたび浸水被害が発生してきた。上流の横浜市栄区金井地区で新しい遊水地の整備が進められる計画があるものの、現状、治水対策は万全とはいえない。

 長嶋氏は、「豪雨災害が懸念される今、このエリアに新たに街をつくるのは防災の観点から間違っている。境川沿いの遊水池公園(横浜市泉区)のように、グラウンドなどとして整備するほうが理にかなっている」と語る。

 今後、ホームの増設工事を進める予定の湘南モノレール「湘南深沢」駅(筆者撮影)

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「湾岸エリアなどには、液状化の危険が指摘されている場所はたくさんある。

 要はリスクとリターンの兼ね合いの問題だ。鎌倉・藤沢エリアでこれだけ広大で空いている土地は希少。たとえ、工事費がかさんでも、収益が見込まれるならば事業を行う企業はたくさんいるのではないか。

 また、治水対策はもちろん必要だが、それはそれとして解決すべき問題だ。浸水の危険があるために開発をやめるというのならば本末転倒に思える」とする。

 なお、多くの人が口を揃えて指摘するのが、周辺道路の整備の必要性だ。新駅を有効に機能させるならば、バス網の整備が不可欠となるなど、周辺道路の交通量が増加するのは間違いない。しかし、藤沢・鎌倉の県道は、今でも日常的に渋滞が発生している。

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 この点について長嶋氏は「新駅を中心に道路網の再編が必要。県道の拡幅や交差点の整備を行わず、シンボル道路だけを通せば大変なことになる。

 また、藤沢から横浜の釜利谷(かまりや)まで延伸予定の圏央道(横浜環状南線)が2020年に開通すれば、今後、物流などの車もますます増える。開発地周辺には歩道のない道もあり、混雑だけでなく危険も増す」とする。

 およそ30年も続く、村岡新駅構想は今回の動きで日の目を見るのだろうか。現在のスケジュールに従うならば新駅が開業し、周辺の整備が完了するのは、最短でも10年以上先のことだ。

 

・新駅構想が一気に進んだのはなぜか

・結局、新研究所は村岡に決まった。当時、藤沢市長だった海老根靖典氏(現在、大樹コンサルティング代表)は、松下政経塾の後輩で親しい当時の松沢成文知事から聞いた話として「武田が社内で実施したアンケートで、住環境・子育て環境に恵まれていることから湘南(村岡)を支持する研究者が多かったこともあるが、敷地の目の前に新駅を設置することを条件として提示したことが決め手になった」という。

 

・村岡新駅は1985年に廃止された国鉄湘南貨物駅の跡地(藤沢市村岡東)に計画されている。一方、柏尾川を挟んで隣接する鎌倉市深沢地区には、1987年の国鉄改革によって発生した旧国鉄清算事業団用地(鎌倉市が取得済)と2006年に廃止されたJR鎌倉総合車両センター跡地(JR所有)がある。

 

    利益誘導の箱もの開拓行政を許すな!!