湘南Theoの平和のページ・ブログ

戦争と、貧困・抑圧・差別の構造的暴力がない社会実現のために!

No.705(2019.6.3)上野千鶴子 氏 「東大生も追いつめる自己責任の罠」

(『東洋経済 オンライン・ニュース』2019.6.2 より、ポイントを紹介)

子どもたちはいったいなぜ壊れ始めたのか

 

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 東大入学式の祝辞で、日本中に女性差別に関する議論を起こした上野千鶴子さん。広範な支持を集めた理由に、#MeToo運動や東京医科大の入試差別があったと上野さんはみる。女性差別についてこれまであまり気づいていなかった人も問題の存在を知り「世論が耕されていた」ことが、幅広い人々による東大祝辞をめぐる議論の背景にあるという。

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一方で何十年も変わらない問題もある。職場や家庭、社会における女性の地位は、どのくらい変わったのか。変えた要因は何か。残る問題は何なのか

 

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(Q)#MeToo運動や東京医科大の入試差別により、世論が耕されたとおっしゃいました。一方、解決していない、変わらない問題もあるかと思います。何が変わって、何が変わっていないのでしょう。

(A)この数十年でタテマエは変わりましたね。

例えば、結婚しない女、産まない女、離婚する女は、昔も今もいますが、彼女たちに対するスティグマ(社会的烙印)は払拭されてきた。それに、結婚した女が働くことは当たり前になりましたが、かつては外聞が悪いことでした。夫が十分に稼ぐことができない証拠と見られたからです。

フェニミズムがタテマエを変えてきた

それに、今では子どもがいる女性が働くことも、当たり前になりました。確かに陰でいろいろ言う人がいるかもしれませんが、公共の場で結婚した女、子どもを持つ女が働くことを非難する声は減ったし、非難すればその人が批判を受けます。

社会変革とは、タテマエが変わることを意味します。人間の劣情やホンネは変えられません。でも最低限、公共の場で性差別的な言動をしたらアウトだよ、というタテマエが共有されてきました。それを変えてきたのが、フェミニズムです。

 

■上野語録1:夫や子どもより、自分のほうが大事な女性

日本の女性が非常に変わったところは、自分の利益のほうを夫や子どもの利益よりも優先するようになったこと。私はそれをフェミニズムの影響とは夢にも思いません。少子化の影響が大きいですね。(以下略)『家族を容れるハコ 家族を超えるハコ』

 

(Q)タテマエのレベルでは社会が変わったとして、個人はどうでしょうか。

(A)私は、女は変わったと思います。一方で、男はあまり変わっていないように見えます。

タテマエの男女平等は何によってもたらされたと思いますか? 親からです。そして親を変えたものは何かと言ったら、少子化です。

かつて、家父長制が根強い時代には「末っ子長男」が多かった。跡継ぎとして男の子を望んで、男の子が生まれるまで子どもを作り続けたからです。今では状況は一変しました。データによれば娘が1人または姉妹のみの世帯は子どものいる世帯の4割に上ります。こうなると、息子だけを優遇することは、もはやできません。だって息子を持たない家族が多くなっていますから。

少子化で、ますます子ども中心になった日本の家庭で、娘にも教育を受けさせ、能力を伸ばすよう期待する傾向が増えてきた、と感じます。

ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんが3月に来日しましたが、彼女のお父さんがすばらしい発言をなさいました。「娘の翼を折らないように育てた」と。

かつて、女の美徳は夫と子どもの利益を自己利益より優先するところにあるとされました。今やそういう美徳は通用しません。専業主婦を希望する女性ですら、夫や子どもの利益を自己利益より優先しようと思って選んでいるわけではありません。夫は最初から自己利益のほうを優先していますから、当然、夫とも衝突が起きます。

妻と夫との間で、対等な葛藤が生じてはじめて、がっぷり四つに組んだまともなカップルが生まれるのではないでしょうか。日本の夫婦が「波風立たない」でいられるのは、妻が不平不満を呑み込んでいるからこそです。

 

ネオリベラリズムによってかえって生きづらくなった

■上野語録2:心が折れない理由

(Q)少子化によって女性の解放が進んだとすれば、近年の変化はフェミニズムの観点からは肯定的に評価できますか。

(A)功罪両方ですね、困った変化も起きています。少子化は数十年かけて進んできた変化ですが、同じ時期に浸透したネオリベラリズム新自由主義)は人々を生きづらくしています。ネオリベラリズムは競争と自己決定・自己責任を強調するところに特徴があります。

ひらたく言えば、お金持ちほど「自分が頑張ったから今の地位を得た」と思いやすいということです。それに加えて、階層が低い人の間でも、自分の現状は自己責任であることに同意する人が少なくありません。 

つまり、社会的経済的に困難な状況にある人が「それは自分が招いた結果だ」と考えて助けを求められないことにつながります。

かつて、社会にうまくなじめない若者といえば、非行少年になるなど、外に向けてエネルギーを発散する傾向がありました。他方、自分で自分を傷つける若者たちは、攻撃性を内に向けてしまいます。学生の変化を見ていて「子どもが壊れ始めている」と、愕然としたことを覚えています。

(Q)2000年代、上野先生は東大で教えていました。今お話のあった「壊れ始めている子ども」は東大生のことでしょうか。

(A)そうです。東大は、もともと学生の自殺率が高いなど、メンタル的に問題の多い大学でしたが、ここ数十年の自傷系の学生の増加は、例外と言えないほどに大きいと感じます。東大生は、偏差値が高いだけの普通の子どもたち。特殊ではありません。

中学・高校の先生方に聞いても同じ、その子どもたちが数年後に大学に入ってくるのですから。先ほど話した自己責任の原理によって、彼/彼女たちは「自分は頑張って東大に入った」と思っています。そして「次も頑張って勝たなくてはいけない」と思っています。競争は1度では終わらないのです。

勉強以外の多様な世界のことを知ったほうがいい

けれども、就職活動は受験勉強のように点数だけでは勝負が決まりません。私が教えていた文学部の学生は就職氷河期には東大生であっても苦労をしています。入社試験のペーパーテストはクリアしても、面接で落とされる。本人はなぜ落とされたのか理解できず、人格否定と受け止めます。そして「自分には価値がない」「生きている意味がない」に短絡する傾向があります。

どれほど経歴が立派でも、一生勝ち続けることはできません。挫折体験がなかったり、価値多元的でなかったりすると、心が折れやすくなります。勉強の出来不出来とは異なる価値基準を持った多様な世界があることを、子どもたちには早めに体験させたほうがいいと思います。

 

■上野語録3:父親から愛された自信

父親にわけもなく愛された経験は、男にきっと愛されるというわけもない自信をわたしに与えた。もちろん、これは根拠のない自信である。この期待は現実によって何度も裏切られたけれども、それでもこりずに男に期待することにおじけづかないという、基本的な楽天性をわたしに与えた。 『ミッドナイト・コール』

(Q)ご自身のお父様に「愛された」と書かれています。父娘仲良しだったのでしょうか。

(A)父親には愛されましたが、「愛してくれたオヤジを尊敬しなかったイヤな娘」です(笑)。

男兄弟の間に挟まれ、兄とは年が離れていたので、私は文字どおり父親からはネコかわいがりされました。息子には厳しく、娘には甘い父親だった。ただし、その愛情はペットに対するような愛でした。息子たちにはかけた期待を娘の私にはかけなかった。 

今でも覚えているのは、お正月に父が「お兄ちゃんは何になる? 〇〇になったらいい。社会の役に立つから」と言いました。弟にも同じように話をしましたが、私の順番は飛ばされた。

それで自分から「チコちゃんは?」と尋ねると、「あ、そこにいたの」という顔をして、「チコちゃんはかわいいお嫁さんになるんだよ」と。そうか、兄や弟のようには期待されていないのか、とショックでした。

だから反対に何をやっても許された。父にとっては理解できない社会学をやりたいと言っても、反対されなかった。期待はされない代わりに、好きなようにさせてくれた、という意味で、感謝しています。私は「翼を折られる」女としての社会化に失敗して今がある、と思っています(笑)。

 

日本の企業と男性が変わらなければならない

(Q)話を現代に戻すと、今や世帯数では共働きが片働きを上回るようになりました。

(A)男性はあまり変わっていない、とお話しましたが、学生を見ていると変化を感じます。多くの男子学生は「妻に働いてほしい」と思っています。自分1人の収入で妻子を養うのは容易ではなく、自分と同じ学歴の妻が働いたら2倍豊かな生活ができることを体感的に知っているからです。

家事・育児などについても男性の意識が変わってきたことは感じます。今では、夫が家事を「手伝う」「協力する」は禁句ですからね。妻が容赦しません。

ただ、彼らが望むように家庭に関われるかどうかは、働き方の問題です。最終的には日本の企業と男性が変わらなければならないでしょう。