≪紹介≫
”令和” の始まりに際して、この間の、アベ自民党政権と歴史修正主義・憲法破壊勢力は、最大限に(代替わり狂騒曲)を掻き立て、天皇を政治的に利用しつくしている。
下記の池内了氏(総合研究大学院大 名誉教授)の論説は、それを論破していると思います。
※『東京新聞』2019.5.17 コラムより、原文のまま全文。
(注:文中の画像はすべて、当方が挿入したもので、原文とは関係ありません)
「 私は従来、このコラムでは社会的な事象で論評することを避け、専門の科学・技術に関わる地味だが重要な問題を論じるようにしてきた。しかし新元号の発表以来、この一カ月余り続いてきた天皇の代替わりに絡む一連の狂騒的な情景を見て、一言感想を記しておかねばならないと思って筆を執った次第である。
「天皇制の歴史は、天皇の利用者の歴史」とは、林達夫が『反語的精神』の中で述べた言葉だが、
(注:画像挿入)
天皇が「現人神」から「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」に代わり、「この地位は主権の存する日本国民の総意に基く」(以上、日本国憲法第一条)となっても、やはり本質的には政府が天皇の最大の利用者であることを示したのが、今回の代替わり騒動であったと言えるのではないか。
新元号の決定過程に安倍首相が介入し、国書である「万葉集」から選ばれたと解説まで加えてみせたパフォーマンスは、内閣総理大臣たる自分が人々の時間までも支配していることを国民に知らしめる意図を感じさせる。
前もって新天皇になる予定の皇太子に対して「令和」を採用すると宣言したのも、時間の支配者は天皇ではなく、この自分であることを認識させるためであったのだろう。
(注:画像挿入)
そうして、国民に対し「平成の終わり、令和の始まり」を広く演出して、あたかも時代が大きく変わるかのように錯覚させた。
実際、新聞やラジオやSNS(会員制交流サイト)など、全ての情報媒体は「平成の終わり」の大合唱をし、退位の「おことば」に感激して天皇の在位時代を「言祝(ことほ)ぐ」ことになった。
災害地や激戦地などへの訪問を高く持ち上げ、退位する天皇夫妻の人柄の良さばかりに話題が集中し、天皇制についての議論は棚上げとなってしまった。 天皇を利用して天皇制の論議をタブーにしたのである。
続く「令和の始まり」を合言葉のようにして、新元号に新天皇、五年先には新札にすることまで早々と発表し、まさに「令和元年という新たな時代」に相応しく、「新憲法」になだれ込もうという魂胆が垣間見える。
具体的には、新天皇即位後の朝見儀における「おことば」に、安倍政権による天皇利用の奥の手が仕込まれている。
前天皇即位の際には「皆さんとともに日本国憲法を守り」とあったのが、今回は「国民に寄り添いながら、憲法にのっとり」にしていることだ。
この「おことば」は即位の儀の前に閣議決定を経ることになっており、安倍政権がそこに改憲の意を込めている友読み取れる。
天皇は「憲法を守る」という約束ではなく、いかなる憲法となろうと、ただ「憲法にのっとり」統合の象徴となると表明したに過ぎないのだから。
そもそも、沖縄・辺野古の問題をはじめとして安倍首相は「寄り添う」という言葉を連発しながらまったく「寄り添う」姿勢を示さず、今やこの言葉は無意味な就職後となっているのだが、「おことば」にも使われているのは首相好みの口癖なのであろう。
安倍首相は、「憲法九条に自衛隊を認知する条項を付け加えるだけで何ら変化はない」と言うが、実力部隊の存在を憲法に明記するのだから、九条の第一項の戦争放棄と第二項の戦力不保持の条項が空文化してしまうことは明らかである。
新たに売り出した「令和まんじゅう」は餡(あん)に新味を付け加えただけと宣伝するが、実はじわじわと全身に広がっていく毒を秘かに仕込んでいるようなものである。
私たちは、天皇の政治利用に対し厳しく監視しなければならないのではないか。」