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No.663(2019.4.23)「令和」と「万葉集」について考える

   新元号「令和」と語源とされる「万葉集」、

   その(愛国心)利用の歴史を批判的に考察する。

 

 5月からの現天皇生前退位と新天皇に対する国民的フィーバーが巻き起こる中、先日は、天皇・皇后の皇室儀礼の一つである、天皇家代々の霊所とする(伊勢神宮)に、三種の神器の二つ(もう一つは伊勢神宮に安置)を侍従が捧げ持って参拝するための車列を見物に多くの群衆が集まり、日の丸小旗も(なんと交通整理警官の指導まであって)振られ、多くの老若男女が感激のあまりに”涙で迎える”という映像がテレビで何度も放映された。

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 そして今、元号「令和」の根拠とされる万葉集に注目が集まっている。

その「令和」の語源典拠と歓迎ムードに警鐘を鳴らす新聞記事の一つが目についたので、その批判の論点の趣旨と記事著者の学術的根拠を基に批判されているポイントを引用紹介してみたい。

  (注)下記『朝日新聞』2019.4.16付記事を参考にしました。https://www.asahi.com/articles/ASM4D0JGQM4CUTFL00H.html

 (注) 画像はすべて、当方が挿入しました。             ⇩

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  記事の著者は、万葉集学舎の一人、品田悦一(よしかず)・東大教授。

 今、数あまたある批判論説の一つで解り易いと思います。

 (ポイント) (注:「 」内は品田教授の言葉)

・「問い直したいのは、万葉集そのものの価値ではなく、利用のされ方です。」

・(明治時代に 近代国家をつくっていく時、欧米列強や中華文明への劣等感から、知識 人は国家と一体となって「国民詩」を探した。そこで、庶民には無名に近かった万葉集が「わが国の古典」の王座に据えられ、国民意識の形成に利用されたのではないか。---

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・「新元号発表後の安倍晋三首相の談話には「天皇や皇族、貴族だけでなく、防人(さきもり)や農民まで」幅広い階層の人々が詠んだ歌が収められ」とある。ところが品田さんは「貴族など一部上流層にとどまったというのが現在の研究では通説と言えます。」

万葉集には、東歌(あずまうた)など身分の低い人が詠んだとされる歌が多数あるが、彼ら自身の言葉で詠んだとは考えにくいという。詩の形式が五、七音節を単位とする貴族たちの歌と同じ形で整いすぎていることなどを根拠に挙げる。

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「当の本人は万葉歌集の存在自体、知る由もなかったはず」と、ことさら庶民を強調する政府の発表に、「この認識自体が明治国家の要請に沿って人為的に作り出された幻想だった。」

・「万葉集の4500首余りのほとんどは男女の交情や日常を歌っているのに、数十首の勇ましい歌が、昭和の戦争期には拡大解釈されたことを思い起こすべきです。」

よく知られる海行かば水漬(みず)く屍(かばね)山行かば草生(む)す屍大君(おおきみ)の辺(へ)にこそ死なめ顧(かへり)みはせじ」に曲を付けた軍国歌謡は大宣伝された

・「忠君愛国と万葉集は切っても切れない関係にある。」

・戦後もなぜ「万葉集は日本人の心のふるさと」とされたのか。内田さんは「敗戦後、左翼の側も『国民歌集』の復興を歓迎し、利用したため」という。国の強制に対し、防人がどうあらがったかを、父母と分かれる悲しみを詠んだ歌を引くことで示した。」「『民衆にも席を用意した民主的歌集』などと礼賛しました」

・「平和時も、万葉集を『天皇から庶民まで』の作が結集された全国民的歌集であるかのように想像すること自体が、国民国家イデオロギーであることを知ってほしい

・品田さんがこの学説を提起したのは、『万葉集の発明 国民国家と文化装置としての古典』新曜社、2001年)。絶版となっていたが、新装版が4月末にも緊急復刊される。

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国文学研究資料館ロバート・キャンベル館長は、「『万葉集の発明』は古典研究の海図を書き換える上での重要な達成で、学会では、このように前提を洗い直す見方が定着してきた」とみる。他方で、「戦時中などの不幸な時代に再解釈されてきた『過程』は忘れてはならないが、1300年を経てもなお歌集が残り、これだけの人の心を浮き立たせているという『成果』は、評価に値する」と話す。

                                    (了)