湘南Theoの平和のページ・ブログ

戦争と、貧困・抑圧・差別の構造的暴力がない社会実現のために!

No.772(2020.6.30)「戦場体験放映保存の会」のこと

 《情報紹介》『東京新聞』2020.6.27記事より

沖縄戦体験証言 :

 旧日本兵らの体験を保存する、「戦場体験放映保存の会」は、6/27、28、太平洋戦争の沖縄戦体験者の証言をネットで生中継する「ウェブ茶話会」を開いた。

(下記から、詳細が検索できます。)

http://senjotaikenhozontabi.blog2.fc2.com/

(又は、こちらでもOK)

戦場体験放映保存の会 全国キャラバン隊が行く

 

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(記事の概要)

・六歳で米軍の捕虜になった金城圀弘さん(81)が、ネットを通じて茨木県土浦市の自宅から証言。

 高嶺村与座(現糸満市)に住んでいた1945年6月、戦闘が激しくなり家族や親戚と南に避難した。

 「どうせ死ぬなら故郷で」と与座に戻り防空壕にこもっていた際、米軍の捕虜になった。

 連行されて外に出ると、たくさんの死体が転がり、幼児が「アンマー(お母さん)」と泣き叫ぶ光景を見た。祖母が米兵の間をすり抜け、燃えさかる小屋に飛び込んで亡くなった。

 (この報告会で、参加者はチャットを利用して質問や感想を述べたある女性は、涙ぐみながら捕虜になった気持ちを尋ね、金城さんは「米兵は水筒の水を飲ませてくれ、親切だった」と答えた。

 若い世代への思いを問われると、「一滴のしずくが池に波紋を広げるように、平和のために声を上げて」と応じた。

 

セミナー二日目28日の様子)

 独立混成第44旅団砲兵隊兵士だった、故・嶺井巌さんの証言映像を一緒に見る会と、元(なごらん学徒隊)上原米子さんの沖縄からの生講演会。  

 嶺井さんの証言映像を一緒に見る会は、当時の状況を証言映像を流していく形で進行。

 「戦場体験史料館・電子版」に、証言概要に沿った形で証言映像へのリンクを設定してあり、それをいっしょにたどる形で話し合われた。

  Q&Aで質問・発言があり、

「私はこういうのを本などで見たことがあります」といった内容もあった。  

 上原さんの場合は、上原さんの描かれた絵に合わせてお話をされる形でした。 ご家族が絵を持って後ろに立たれており、ご本人が質問が聞き取れない場合などのサポートもしてくださっていました。  

 沖縄本島北部での戦いに伴う救護活動のお話なので、南部戦線でのお話とはまた違った面があり、参加された方の中には、比べながら聞かれた方もおられた模様。  

 参加人数がWEB約170名、東京会場約30名。  最初のお話が、投降する辺りまでで短めだったため、戦後についてのことなどは、質問を受けてお話いただいた感じになった。   

沖縄と東京を結んでのWEB中継は、やり取り自体には特に問題がなく、成功例といえるようで、このような形式での交流も今後は進んでゆけると思えた。

 

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