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No.643(2019.4.3)白井聡氏の「天皇国体」翼賛の『国体論』批判(試論)

              No.643(2019.4.3)

 《意見紹介》 

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                             (初版:2018.4.22 集英社新書 940円) 

 

 ある友人が、今論壇で高く評価されている白井聡氏の論調に対して、試論として、批判的見地で論稿を寄せられているので、紹介したい。

 私も、今回の ”元号” 改定を機に、ますますこの白井聡氏の、「天皇制」という民主主義に反する枠組みのなかでの、ある種の倒錯の論理の展開として批判すべきものと考えます。

 

  白井聡氏の「天皇国体」翼賛の『国体論』: 批判

 

 前著『永続敗戦論』で一躍有名になった白井聡氏の新著「国体論 菊と星条旗」(2018.4)がよく売れている。

  この書は、明仁の「生前退位のおことば」を持ち上げ、同時に反米と反安倍のアジテーションの書である。それによるのか、護憲や平和の集会で白井氏は講演を行っている。

 この書は日本の戦前の国体の変遷と戦後を対比させ、戦前は天皇制国家が「(菊の)国体」であり日本を破滅に導いた。

 戦後は天皇制支配が、アメリカ支配に変化し「国体」は「(星条旗の)国体」として維持されてきた。

 その戦後の「国体」の段階を「アメリカの日本」「アメリカなき日本」「日本のアメリカ」の3段階として規定する。

 そして今、「日本のアメリカ」段階が日本を破滅に導こうとしているとする。

白井氏の反米・反安倍は何か?

 白井氏は、

「日本の対米従属の問題性の核心は、日米安保条約でもなければ、大規模な米軍基地が国土に置かれていることでもない。日米間の国力格差も本質ではない」

「ただひとつの結論とは、日本は独立国ではなく、そうありたいという意志すらを持っておらず、かつそのような現状を否認している、と言う事実である。」

と結論づける。そして、

「本物の奴隷とは、奴隷である状態をこの上なく素晴らしいと考え、自らが奴隷であることを否認する奴隷である」

「こうした卑しいメンタリティが、安倍政権が長期化する中で、疫病のように広がってきた」

と慨嘆する。ここで白井氏は対米従属した日本人の「卑しいメンタリティ」を強調するが、天皇に従属し媚び諂う日本人の「卑しいメンタリティ」については触れない。

そして明仁については「あの常のごとく穏やかな姿には、同時に烈しさが滲みだしていた」と共感して、「日本人の霊的一体性」の強調につながっていく。

ここでは紙面がないので、同書の後半の天皇を翼賛する結論部分についての批判を行いたい。

歴史の転換と「天皇の言葉」

 白井氏は、明仁の「お言葉」に異様に反応し、

「『お言葉』は、歴史の転換を画する言葉となりうるものである」とする。

後醍醐天皇の倒幕の綸旨、孝明天皇の攘夷決行の命令、明治天皇の5箇条の御誓文、昭和天皇玉音放送

の系譜に連なるものとして、それを聞けたことを、まるで楠正成や新田義貞、幕末の尊皇志士になったかのように感激する。

そして

「腐朽した『戦後の国体』が国家と社会、そして国民の精神をも破綻へ導きつつある時、天皇がそれに待ったをかける行為=「天皇による天皇制批判」に出たのである」

と評価し、

「『象徴』による国民統合作用が繰り返し言及されたことによって」

アメリカを事実上の天皇と仰ぐ国体において、日本人は霊的一体性を本当に保つこととが出来るのか」

「それでいいのか」

と反芻する。

「お言葉」の可能性を現実に転化する民衆の力

「お言葉」にある種の霊的権威を認めていることを述べた上で、天皇の今回の決断に対する人間としての共感と敬意から、天皇の呼び掛けに応答せねばと感じたとして、白井氏は同書の最後の4行で次のように記述する。

「お言葉」が歴史的転換を画するものでありうるということは、その可能性を持つということ、言い換えれば、潜在的にそうであるにすぎない。その潜在性・可能性を現実態に転化することができるのは、民衆の力だけである。民主主義とは、その力の発動に与えられた名前である。

白井氏は、ついに「天皇制」という民主主義に反する枠組みのなかで、天皇の言葉に依拠して民主主義を闘い取るということを民衆に呼び掛けるのである。全くの倒錯の論理である。

天皇を「国民統合の象徴」として共同体を主張する民族排外主義

憲法違反の「お言葉」を糾弾せずに、大時代的な感激を表明し、「『象徴』による国民の統合」「日本人の霊的一体性」を強調するこの書は、まさに「反米民族主義」の主張である。

1月26日の東京新聞での朝倉論説委員との対話記事では、「対米従属による社会の荒廃について、天皇の言葉に再生の可能性を見出しているように読めました」との問いに対して、白井氏は「お言葉では、天皇とは『国民統合の象徴』だという点が強調された。

国民の統合とは、日本国民という共同体のみんなが助け合い、仲良く暮らすことだと思います」と答えている。

この天皇を象徴とする「日本国民という共同体」とは、在日朝鮮・韓国人、中国人など他民族を排除した「神国日本の臣民の共同体」そのものであろう。

                   

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                (『東京新聞』2019/1/26記事)