そもそも、本題での「生命の尊さ」という課題は未来永劫の課題で、病気・怪我はもとより、戦争・原発・自然災害・環境破壊・企業活動、殺傷、全ての人間の行為と自然の原因と結果による共通の思想です。
それに対して鈍感な社会がまん延しています。
『東京新聞』の「本音のコラム」欄はいつも注意して読んでいます。
私は、ここでの山口二郎氏の論評は毎回、大抵全面的に賛同しています。
今回は、2019.3.17付の下記の記事です。その全文を紹介します。
(『東京新聞』紙には無断転載。)
生命の尊さ (山口二郎 法政大学教授)
「人工透析を打ち切った患者が死亡した事件を機に、人間の生命の尊さについて考えなければならない。
この事件は偶発的なものではなく、生命を軽んじる風潮の表れだと思える。
ある雑誌の新年号で、若手の評論家が、死の一カ月前に医療をやめれば医療費が大幅に削減できると発言し、物議をかもした。
少し前には、あるテレビキャスターが、人口透析患者は自業自得なので、費用は全額自己負担にせよと発言し、批判を浴びた。
前者は無知、後者は確信犯という違いがあるように思えるが、支払い能力によって命の長さに差ができることを当然と考えていることは共通している。
今月初め、日本産科婦人科学会は、新出生前診断の手続きを簡易化する方針を打ち出した。もしこれが普及すれば、障害がある子どもが生まれたことは親の自己責任という感覚が一般化する恐れがある。そうなると、社会福祉は大きく後退する。
救うべき命と救わなくてもよい命が区別できるという議論を始めたら、個人の尊厳、平等という近代社会の根本原理は崩壊する。
生きるに値する人と値しない人をどう識別するのか。
それが可能だと言い出せば、生きるに値しない人間をガス室で抹殺したナチスの思想に限りなく近づいていく。
われわれは、正気を保たなければならない。」