《紹介》 (以前に投稿したものですが、一部追記して紹介します。)
軍事月刊雑誌:『軍事研究』というある種独特な書物があります。
(注)発行元は、(株)ジャパン・ミリタリー・レビュー というところです。
私は、自衛隊と世界の軍事組織が保有し、開発する軍備の最新情報を知っておくことは、反戦平和を考えるうえで、「反面教師」としても必要だと考え、時折Amazonで購入して軍事情報を得ています。
いやはや、軍事オタクなら垂涎(すいえん)の素材がてんこ盛りです。
最近の2018/12 号を買ってみると、目次は次のようなものでした。
下記のオフィシャルサイトで、直近各号の総目次が紹介されています。
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(クリック)
これは、ジャパン・ミリタリー・レビューが発行する軍事問題を扱う月刊の雑誌で、1966年4月創刊。1973年7月号から1979年2月号まで「戦争のあらゆる要因を追求して人類恒久の平和を確立する」言葉が表紙に掲げられていたそうです。
しかし、創刊の目的は当時のメカや戦記もの中心の軍事雑誌に防衛政策を論じるものがないことにあったというのが発端のようです。
当初は国防政策や安保論を高所から述べることが多かったようですが、次第に内外の軍事を広く解説する方向にシフトして行ったということです。
2001年当時の編集長横田博之氏は「うちは右翼ではないけど、日本が先進国を名乗りたいなら軍事も経済も外交も同じ比率で考えなければならない」と編集に当たっての姿勢をコメントしています。
更に同氏は、軍を命令だけで動く集団とは捉えず「人間関係が良好な軍が強い」との考えがあり、自衛隊に関しても「義侠心」ではなく法整備や国民的合意に関しての視点が社会一般から「一番抜けている」ことを念頭に政策論についての編集指針を示していたと言われていたようです。
読者層と執筆層
主要な読者層は若年層軍事マニア、防衛庁、自衛隊、マスコミ関係者などプロまで幅広いようである。書き手は「自衛隊制服OBと雑誌出身ライターでほぼ二分と言われているようだ。
売れ行きと評価
70年安保の頃は「どこか人ごとで、危機感はなかった」が、湾岸戦争の際には関心が高まり売り切れが続出したと言う。2009年のサイゾーの副編集長インタビューでは25,000部と紹介されている。
ベトナム戦争中より軍事史的な面から反共姿勢を貫きジョンソン政権の北爆を支持し日本国内の平和ボケに警鐘を鳴らす論文を掲載していたため、新聞で「要を得た情勢分析」と評されたこともある。
水島朝穂氏(後述)は本誌の防衛官僚人事異動を分析する「市ヶ谷レーダーサイト」(庁舎移転前は「六本木レーダーサイト」)について「小名の経験とセンスを遺憾なく発揮して、将官人事の動向から次期幕僚長候補、内局の人事異動まで異様に詳しい」と評している。
福島第一原子力発電所事故に際しても本誌常連執筆者の一人である志方俊之氏が自衛隊の能力について推測を行い、それが週刊新潮、J-CASTで孫引きされるなど、専門雑誌として評価する見方もあると言われているそうだ。
※巻頭の軍事産業コマーシャルがスゴイ!!
(追記) たまたま、WIKIPEDIAをひも解くと、水島朝穂氏【早大教授)が別の観点から次のように論評されていました。(2014.11.29付) 参考になります。
(例の如く、氏の論文は常にやたら長いので、抜き書きさせてもらいますが、それでも長い・・・)
「自衛隊の準機関紙『朝雲』を定期講読するようになってから24年になる。一般の自衛官より私の方が読者歴は長いだろう。自衛隊の各種演習・訓練、部隊の活動やイベントから人事情報まで、情報は盛り沢山である。・・・・
私は、『朝雲』よりも1年早く『軍事研究』の定期購読を始めた。・・・・
まず、小泉のもとで防衛庁長官を務めた石破については、「軍事オタクで玄人裸足の知識を持つ石破茂」として、こう総括する。「歴代長官の中で傑出した人物であったことは断言できる」。その根拠として、「まず一つには、軍隊が心から好きだったこと」を挙げる。「彼ほど自衛隊を愛していた長官はいない。匹敵するのは中曾根康弘氏くらいしか思い出せぬ。…この国では、軍隊・軍事が好きだということが、マイナスにこそなれプラスにならないという馬鹿げた風潮がある。」・・・・
さらに、「もう一つ石破氏が長官として抜きんでていたのは、その実績=仕事量である」として、防衛計画大綱見直しと中期防策定を進めるなか、発足以来懸案の「有事法制」を成立せしめ、対ゲリラ・コマンド充実やミサイル防衛研究開発へ端緒を開き、武器輸出三原則見直しの発言もし、自衛隊初の海外派兵〔!〕という難事にも手を着けた。何よりも石破なくして語り得ないのは、自衛隊の統合幕僚組織と参事官制度の見直しを一気に進めたことであるとして、「前向きの仕事でこれほどの実績を残せた長官はかつていないのではなかろうか」、それぞれが外圧や内圧の政治情勢の結果という面もあるが、これらは「石破でなければ実現しなかった」。・・・・
石破は、徹底して、この仕組みを変えようと動いた。「石破的刷り込み」は2年かけて、ジャーナリズムや国民の間にも広まった。憑かれた目つきが気になって、話の内容に気が向かない。しかも彼は非合理なことは言わない。彼が主張するのは、軍事的合理性の基準とした制度改編である。従来の自民党主流の政治家たちは、選挙民の平和を求める気分や非戦感情を測定しつつ、他方で周辺諸国を過剰に刺激しないように、「憲法の枠内」というイクスキューズを多用しつつ、軍事的合理性の突出を抑える政治的味付けを施そうとしてきた。「専守防衛」や「防衛費GNP1%」、集団的自衛権行使の違憲解釈など、すべて軍事的合理性から見れば「不合理の極み」である。だが、官僚・軍人と政治家を区別するのは、国民感情やら周辺諸国との関係といった「アバウトな要素」をも組み込んでいくバランス感覚である。軍人や官僚の専門的、合理的判断だけが突出すれば、失うものも少なくない。高度の政治判断という形で、最終的に選挙で民主的正統性を与えられている政治家に期限付き(任期)でそうした判断を委ねる。「曖昧な日本」もそうした政治判断の蓄積の結果であり、それ自体は批判的に分析・総括される必要があることは言うまでもない。宮沢型の解釈改憲コースがいいと言っているわけではないのである。・・・・
この国の場合、憲法9条の徹底した平和主義と実質的な軍隊の存在という乖離があまりに激しかったために、「普通の国」のように、シビリアンコントロールがきちんと定着してこなかった。この国のシビリアンコントロールというのは文官の内局優位の仕組みに矮小化され、「日本型文官スタッフ優位制度」となってきた。議会の軍事統制の仕組みも未熟である。だから、長年の内局の「過剰な介入」に対して、制服のフラストレーションは極点に達していた。小泉的政治手法と、石破というまたとない大臣を得て、一気に「普通の軍隊」化がはかられているのである。その結果、軍事的合理性が過度に突出する危険が大きくなっている。このことが問題なのである。・・・・
今や近過去となった石破時代。その負の遺産は、この国が長年持ってきた「軍事的合理性」への危惧と抑制の意識と仕組みを変え、軍事をも選択肢とする「大国」への道を進めたことだと思う。「軍事好き」の政治家がトップになったときの怖さと危なさは、今も昔も変わらないことを知るべきだろう。・・・・」